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広島に生まれて…。

山口と言っても誰も知らない。そう思って、
広島生まれ、山口育ち。故郷は山口のド田舎よ。
というと、だいたい一瞬間が空く。
「ヒロシマ」
「あのー、広島は今はどうなっているの?」
「ああ、広島、なんていったらいいか・・・」
「ご家族はご健在?」
想定外の反応に、え?そうか広島って世界中では(日本でもですが)過去のことじゃないのね。
と知ることになった。
そして
「日本の政治ってどう思う?」
「日本はどこに向かっているの?」→知らんし!!なんて言えないね~泣
「原爆爆投下についてどう思う?」
と聞かれることも多かった。
初めて自分を日本人だと意識して、そうして自分の国をもっと知りたい。と思ったのもそんな反応を受けたから。
それまでも、いや、今でも、ぽやんぽやんと生きてるけど、なんとか自分の国や広島について話ができたのも
大切なことはちゃんと祖父母や両親からそして、学校でも教わってきていたのだからだと思う。
平和教育って、全ての県の授業であるのだと思っていたら、違うらしいということも昨年知った。
広島・山口という地域性からだったのか
原爆資料館には何回も行っているし(小さい時はそりゃもう怖かった。行きたくなかった。そして、怖いというわけではないけれど影だけが残った日銀の階段が今でも鮮明に思い出せる)
小さい頃は平和行進にも参加。しかし、その頃は何で更新しているかも分からなかった。みんなが仲良くなるように大切な散歩?だと聞いた覚えが…。

祖父母や戦争に行った友達のおじいちゃんの話もなんとなく記憶に残っている。
(戦友の遺体は持ち帰れないから親指と髪だけとか。
(私の)父を抱きながら、広島の方角の真っ黒い雲を見ていたとか
母の父は仕事の関係上原爆投下後の広島に入っていた。若くして肺血漿でなくなったのはそれも原因では?と後から知るとか。
中学校出の祖母が結構英語を知っていてビックリ。最初に覚えたのはgive me a chocolate だったとか。戦後の広島はレストランにも米兵さんが来ていてそれで英語を覚えたとか。)

今思えば、もっとしゃんと話を聞いとくんだったと。
戦争を知らない


そんな話を、経験した人から聞く機会もこれからどんどん減ってくるのだろうけれど、
私も両親のように何が大切なのかちゃんと伝えて行けたらなと思う。

恥ずかしながら、今でもそんなにしっかりと自分の意見が言える訳でもないし、そんなにちゃんと調べてもいないけれど
それでも、8月6日は何があった日か知っている。


昨年、久しぶりの友人に会いに広島へ行ってきました。
キャンディとファティマとあやに。

気がついたら、原爆ドーム前で平和の歌が聞こえてきた。
何となく歯科説明出来ない私。
そうしたら生協の担当の方とあやが話しはじめて・・・
あやは何も知らない自分に気がついて帰国後にボランティアガイドを始めていたのだそう。
そうか、今からでも知ること、伝えることできるのね。

キャンディはフランス人。
ファティマはアルジェリア移民でイスラム教徒のフランス人。
フランスはだんだん極右派の意見が目立つようになってきたらしい。
でもね、それがなんだっていうの?
2人を見ていたら、宗教も人種も関係ないんだな~とつくづく思う。
マコも、気がついたら「英語話さないで!!」なんて言わないで
ファティマと電車ごっこしたり、キャンディと座ってランチをしていた。
2人は2人それぞれの感じ方で、私は私の感じ方で歩いてみた。
それぞれがそれぞれに、心地よく、相手も心地よく過ごせる空間を作り出せる友達にほっとした数日でした。

因みに初めてあった時
レストランでファティマは
「私はお酒が飲めないの。」「ああ、そっか。イスラム教?」
「すっごい、アル中なの。人が変わって・・・・おそっちゃうかも!!ぎゃお~!!」 「えええ?!!私なの!!大好きなのに・・・」
と真剣に返したら
大笑い。
「ふるたん、おもしろい。だいたいこう言うと、「いや、いい、飲まないでいいっ!」って言われるのよ~。」
って。超面白い友人です☆
一緒にいたら笑い転げているに違いない。
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