もし、お金が十分あったら、働きませんか?
私(オット)が、働かなくていいくらい、ものすっご~いお金持ちだったら・・・
一番にしたいこと。旅(もう一度クロアチア!ペルー、中東からアジアにかけて。サバンナにも行ってみたい。)!
家を自分たちで作る!田畑をする!実家の限界集落地を活性化する。子ども(やお母さん)とお年寄りが気軽に集える場所を作る。田舎でゲストハウスらしきもの、コミュニティハウスを作る(できたら多言語環境可能に~)
をオットに伝えて、一緒にやろう~!!とたぶらかす(笑)
って、お金なくてもできるじゃん・・・。しよ~よ~。(←エアオットに。)あ、旅はお金もある程度必要よね。
(出産前なら、開発支援や平和構築とかって答えていたでしょう・・・。)
お金があっても・・・たぶん働くと思いませんか?
働くって、きっとお金を得るためだけじゃなく、社会の中で自分の存在を確認すること。誰かとつながること。誰かの役に立つってこと。
お金は「ありがとう」のやり取りの結果なんじゃないでしょうか。
働くって、「ありがとう」のやり取りなんじゃないか?
そう思う私なので・・・
ちょっとでも働かなくてもお金が入ればな~と(と思っているかどうかは定かでないが)FX株式変動画面とにらめっこしているオットを見るにつけ、なんか違和感・・・。
(応援したい企業の株を買うならともかく、グラフの上下を見て買ったり売ったり?いえ、もともと株式を持っていて、定期的な収入があるなら別ですが、今無理して株でお金を増やそうとする必要はあるのでしょうか?寝不足から来る体の不調、子どもとの(妻とも!)時間減少・・・何より、あぶく銭だぜ!って、これこそ価値観の押しつけですわ、ハイ。)
話がそれましたが・・・
働く=お仕事って社会の中で誰かの役に立つってこと。
将来、社会の中で、誰かの役に立って、そして、助けてもらって。助け合いながら暮らしていけるように。
誰かの役に立つことが嬉しいなって思える経験をこれからいっぱい積んでいけたらなと思います。
最近のマコ
小さいことだけど、マコのお仕事だから~としていること
食べた後の台拭きと(食べ物が落ちていたら)机の下の床拭き(毎日)、洗濯たたみ、配膳、上靴洗い(運動靴は私)、料理(気が向いた時)、茶碗拭き(ごくたまに)。金魚のえさやり。遊ぶこと!!
自分のこととして
幼稚園に行く準備:服(名札の安全ピンが外したり止められるようになった!のが嬉しくて毎日頑張っています)
お弁当の準備、食べた食器を下げる、片づけ(できない~。私もできていない~~)、
自分のことを自分でする。それができて初めて、誰かのためにってできるのでは?と
まずは自分のことをきちんと・・・!と思っていましたが、
「ママがしたんだから、ママが片づけなさい。それ、ママがすることでしょ」と言うのを聞いてガガーん!
私、そんな言い方していたのね・・・。
今は、着替えを手伝って~&着させて~は、「甘えたい時」なんだな~と結構夜は私がお手伝い・・・。
マコも、自分のことは棚に上げて、できるお仕事しちゃってます。
家族もお互い、助け合い♪「できることを助け合ってする」が当たり前になるといいな~。
「一緒にやると速く終わるね~。」「協力したら上手にできるね」が合言葉で、まいっか☆
ブロ友tamapachiさんの家の仕事から身に付く時間の概念 にも大共感♪
こんな時間の概念も身につくと嬉しいなと思います♪
☆☆☆
しかし、やはり働くということは現代社会、お金からは切り離せません。今の生活をしていたらね。
どうやったら(十分な)お金が手に入るか。働き方が選べるか。←ここ大切。
これが、妊娠前の私の頭の中。
今から50年後に、今ある職業がそのまま残っているとは思えません。(タイピストなんて今いないでしょ?あ、50年前にもいないか。)
50年前SEなんて仕事ではなかったでしょう。
テクノロジーはどんどん進化するし、誰でもできる仕事は、どんどん安くなっていくし、そのうち機械にとって代わられるでしょう。(SEがそうというわけではありません)
50年とまでは行かなくても、15年後には今ある仕事のいくつかは機械がこなすようになり、
現在存在する仕事の市場価値も変わってきているでしょう。
誰にも真似できない仕事って?
一つは、未来の仕事は「今はまだない仕事」
自分で、同じ土俵で競争するより、新しい仕事を作れるくらいがいいんじゃない?
世界のボーダーがなくなってきたことによって、誰でもどこへも行き来しやすくなりました。
どこでも仕事ができる。(ノマドとか。あ、これは競争からは一線引いてる?)
って便利なようだけど、競争(するなら)世界が相手になってきたって事。
3ヶ国語話せてMBA(ってとこがもう古い…)持ってる人なんてゴロゴロいるし、7ヶ国語話せる人もゴロっといる。
優秀な人材もたくさん世界を行き来する(物理的なだけでなく、ネットを通して仕事もやり取りできる)ようになってきて、
日本にいても、機械だけじゃなく、いろんな人と競争する時代がやってきてしまった。
私のちょっとだけの海外生活でも・・・デンマークで出稼ぎしているインドのお医者さん。
4ヶ国語話せるスペイン人、フランスでMBA取るも、納得できる職場なし。バカンス兼ねてデンマーク語勉強中。
旅行中に知り合ったトーゴ出身学生、母国語に加えて仏英ペラペラ。プログラミングもばっちり。自国に戻れば、国家公務員の職が保障されているけれど、独裁政権下に戻りたくはないので、国外での就労を目指す。けれど、受け入れ先見つからず・・・って明らかに私より能力高いのに!!
とか、いやもうゴロゴロゴロ。日本にいても、ゴロゴロゴロ。
能力高い人世の中にはい~っぱいいるのね。と目の当たり・・・。
*周りに能力高い人もいたってだけです。私は違いますよ~~。アルバイトで日銭を稼いでいました。
今では英語であいさつができるかどうかも怪しい…。
デンマーク語学学校のクラスでは、移民もたくさんいて。特にプロフェッショナル移民を増やしたかったため、いろんなキャリアの人が多かった。ヨーロッパの人は音も文法も似てるからか?結構3ヶ国語話せる人も多かった気がする。IPCではハーフの子も多かったので3~7ヶ国語話せる人もいた。教員はガーナ、フィリピン、フランスの大学の先生や、デンマークの芸術家、元国連スタッフ(現在プロジェクト契約)が授業を持っていたので、いろんな話を聞くこともできた。楽しかったけれど、もっと語学も身についていたら、ちゃんともっと理解できただろうに~と思うくらい何も出来なかった。私は1ヶ国語(日本語)でさえ怪しくて、資格も何にも持っておらんです。すごい人がいるな~、私は何も知らないな、ということが分かった旅でした。
誰かと争って勝つ(選ばれる)ってものすごい大変なんじゃないかと・・・。
せめて、これからの人口構成も考えて、アラビア語くらい話せるようになっとく?
(中国人も多いけど、そのうち減少。中国では高齢化が問題になるはず(なってる?)。勢い感じながら仕事するなら、イスラム教圏。戦争が起きなかったらそのうち人口比でイスラム教徒がキリスト教徒を越えるでしょう。何より、面白い地域だ☆)
適正技術も面白いな。プロボノ?
(旅の途中ガーナのレゴン大学で、竹を使ったソーラー?クーラー付き?自転車プロジェクト(だったか?)を見て面白い!!MITのD-Labを知り、適正技術という考え方を知り、その頃活動始めたばかりのコペルニク←適正技術と社会に出た形が分かりやすい。にちょっと関わろうとしたり。)
他の能力は・・・今あるもので何とかして・・・ニッチを狙って仕事を作りつつ勉強する?
今はとりあえず、食べていけたらいいもんね・・・。と。
☆あくまで10~5年前。今は勢いのある国や技術も変わってきていると思うし、私もしばらくリンク先を見ていない。
とまぁ、ふらふら~~
☆☆☆
しかし、その後、東日本大震災が起き、妊娠・出産したこともあって、
ワタシ、頑張れる・・・???こんなことで頑張る必要ある?
・・・・・・・。
かなり早い段階で、競争から離脱していたと思うけれど、競争に巻き込まれないで働くということからも脱落しました・・・。
もう、毎日がいっぱい、いっぱい。食べていくのに精いっぱいデスヨ。
オットが働いてくれているのが、本当にありがたい。
毎日食べることができてるだけでも、本当に感謝です。
自己実現?よりよい世界のため? なんじゃそら!
誰かのために働く?
目の前の家族のために働くんじゃ!
そう、まさに「そこにいるだけでいい存在」というものを知り、毎日に追われる日々が始まりました。
同時に、同じように世界中の子どもたちが、どの子もその国で愛情を感じながら育っていける環境にあればいいのにと思うようにもなったし、日本の子どもたちが日本で安心して暮らせる社会にしていきたいと思うようになりました。←しばらく忘れてた。
日本で、名古屋で暮らすのが一番いいのかも分からないけど、私の場所はここになりました。
さてさて、もとから競争からはちょっと離れた所でいいんじゃない?と働き方を考えていた上に、
子どもが生まれて働くこと(現金収入を得ること)から遠ざかって・・・
働く=お仕事って社会の中で誰かの役に立つってこと。
働くって、「ありがとう」のやり取りなんじゃないか?
と、改めて認識してから、十分なお金を得ることって、そんなに大事なんだろうか・・・とも思うようになりました。
(いえ、きれい事だけでは食っていけないことも重々承知。
日々汗水たらして働いてくれるオットがいるからこんなくだらない記事も書けるのです・・・汗)
マコは電車が好きで好きで、大きくなったら電車の運転士さんか、車掌さんか、電車を作る人になるのー!
って。きっと君が大きくなったころには自動運転になって機械が大半の仕事をしているでしょう。
それでも、どこか山奥のローカル線は地元の人たちの生活の足となって細々と運営されているだろうし、そこの運転士さんになるのも楽しいでしょう。地元の人たちに愛されるように。
もしかしたら、その地域を都会からの、いえヨーロピアンたちのバケーション地として盛り上げていくのもいいよね。暮らすように旅したい人にとっては、日本の田舎は魅力的なのに、交流しながら長期滞在できるところ少ないもんね。
もしかしたら、自給的な暮らしをしつつ、週末は山の整備を手伝ったり宮大工仕事を手伝っていたら、弟子入りすることになり、人材不足から日本宮大工協会からも研修させてもらい、そのうち東大寺や宮内庁の仕事を手伝うようになっって、海外からも注目されて
・・・って、オイオイどんだけ妄想膨らむのよ!!
いえいえ、そんなことしなくても、身近な人の誰かの役に立つだけで、十分価値はあるのだと思う。
おじいちゃん・おばあちゃんたちの買い物代行、お掃除代行、おしゃべり相手。
お金のやり取りが発生するかどうかは置いといて、ありがとうのやり取りはあるよね。
未来にも存在する仕事って?
二つ目は相手のある仕事。心の交流のある仕事。
買い物や掃除を頼むにしても、やっぱり人をみて頼みたいよね。
この人じゃなきゃっていう仕事。そんな人になる。
そう思うと、あら、今ある仕事、無くなったりはしませんね・・・。
3つ目は、これぞ!な一次産業の担い手
もう、個人的に私はこれがいい!次に働くならこれだ!生まれ変われるならこれだ。
農業や林業に携わりたい。生きてく力を身に着けていた方がいいに違いない。
・・・いや、生まれ変わらなくてもできるんじゃない・・・?
十分なお金を得る。十分って、一体どれくらいで充分なんでしょう。
ね?私にも分からない。
マコがどこで聞いたか「貧乏ってな~に?」
ん~。貧乏って言うのはお金がなくて・・・買えなくても、作ればいっか。って思えたら貧乏ではなくて・・・。
買えない、買いたいのに買えない。欲しかった~。お金が欲しい~~みじめだ~って思った時、
貧乏に近づいているんかなぁ。今あるものじゃ満足できない時なんかな。
と。
もし今、充分だと感じられるならそれでいいのかも。
お金が充分あったなら
家を自分たちで作って、田畑をもって、実家の限界集落地を活性化したり、子ども(やお母さん)とお年寄りが気軽に集える場所をつくったり、田舎でゲストハウスらしきもの、コミュニティハウスを作ってみたいな~。
って、私は、今ちょっと心が貧乏なのかもね。
そして、一番の課題はそれが、私だけのしたいことってことね。オットもいるのよ~~。
将来マコには、自分の考えを身近な人に伝えたり巻きこんだりできるコミュニケーション能力を持った(社会の中で自立した)
大人になって欲しいなと思います。
我が身を省みて・・・。
いえいえ、本当は・・・
生きているだけでもやっぱり充分だと思う私もいるのでした。

子育てのつ・ぶ・や・き

「生きる力」や「生き切る力」とは何だろう