「食べられることに感謝」
これも、お仕事を通して感じられてくることが多いのではないかと思います。
食べるために働くと言っても過言ではないと思うのだけれど
最近は(私含め)、食べることが雑になって( 感謝がなくなってきている)、きている気がします。
我がやでも、ほら「これ、いらない。」「見た感じいらないな」って言葉が・・・!日常的にも茶碗や皿に残ったまま捨てる現象が・・・!
おお~!!私が育った環境では信じられない・・・!カルチャーショックでした・・・。
正直に言ってはいけないの?って、
いえ、そりゃいいですよ。私も料理の腕を上げねば・・・。しか~し!
「命をいただいているんだよ?」「だれかがつくっているんだよ?」
私が初めて生きているものを食べていたんだと気づいたのは 小学校低学年(たぶん)
祖父が、飼っていた鶏を目の前で絞め、ぽいっと私の方へ投げ「むしれ」と一言
(むしる:毛を取る、羽を取る)
今まで生きていた鳥がくたってな っているのも怖いし、それから羽を取るのも怖いし
でもでも・・・・何より・・・じいちゃんが怖い!!!逆らえない・・・!!
泣きながら、鶏の羽をむしったのを覚えています。
同じく、牛のえさを食べに来た鳩を捕まえて殺して料理に使ったり・・・。
私は、家で鶏の炊き飯(鳩も、飼っていた鶏も炊き飯になることが多かった)が鶏肉だと食べられなくなってしまいました。
(けど不思議なことに買っ鶏は食べていたんでしょうね)
そして・・・小学5年くらいかな、父が羽をむしり取った鶏を1羽「今日の晩御飯にこれを使え」と。
どこから解体していいか分からず、ひとまず一番切断できそうな喉を。もうこれ以上は書ききれませんが・・・
その時から鶏肉は食べらなくなり ました。
そうして、豚や牛も同じなのでは?
だってほら、山から漁師さんがひきずってきた猪も・・・。みんな本当は生きていたんだ。
殺したんだ・・・!
いや、これは野菜でも同じだ。ジャガイモにだって家族はある。一家離散させているのは人間じゃないか・・・!
と、「私は食べない」宣言を。小学5年くらいで・・・。
そして、お腹がすいて早くも前言撤回・・・。野菜と穀物は食べることに。
そのうち、鶏肉以外も食べるように。
あまりにリアルだった鶏肉だけは、どうしても吐き気がして食べれなくなってしいました。
(再び、いつから食べられるようになったかは不明。今では、鳥も豚も牛も食べます。でも、もっとちゃんと覚えていなきゃいけなかった感覚なのかもしれない)
そうして「料理されて出てきたものは、すでに食べ物にするために殺されている。それを食べないのは、命を粗末に することだ」と教わりました。(食べる人がいるから殺されるのでもあると思うが)
食べるために命をいただいている。
そして、それを育てている人がいる。
動物は毎日、餌や水を上げ運動もさせる。(餌も育てて、用意する)
植物も同じ。水を上げ、環境を整える。(草抜きが大変!収穫体験は美味しいとこ取りです~♪感謝♪)
食べ物はそう簡単には育ちません。そこに、愛情と手間暇がたっぷりかかっているのです。
そうして、料理。食べる人のことを考え、一生懸命作っているのです。
そんな想像できてたら、感謝せずには食べれますまい。
いや、美味しいに違いありますまい・・・!
小さい頃、食べずに残すなんてもってのほかでした。
そのために育て、命をいただいている のだから。
時間をかけて作っているのだから。
そうして、自分で手をかけないでいても、
それだけのことを誰かがしてくれているのです。
買うにも、お金を払うにも、
そのお金を得るにも労働がなされているのです。
もしかしたら、食べ物が勝手に出てくるようになって(”お手伝い”が減って。食べるために働く経験をしないままに大きくなって)その向こうにある労力や命が忘れられてきているのかもしれない…と思うことがあります。
だからこそ、子どもとも、少しでも多く、食べ物を作る経験を積み重ねていきたいと思います。
命の恵みに感謝します。いただきます。と心から思えるように。
田畑をしたいのもそういう理由もあって。
ただ単に、美味しいから!てのが一番の理由ですが。
写真
おじいちゃんちで、いも掘り。
写真
夏、郡上の釣り堀にて、魚のさばき方を教わるマコ。
内臓もきれいに取り出せました。
釣った魚はちゃんと食べる。
ちなみに私は子どもの頃「宿題しなさい」と言われたことは一度もないけれど、「手伝いをすること」は当たり前」でした。自分が受けた教育が全てよかった!とも言い切れないけど。
昔は共働きの家って結構子どもが家事をしていたんじゃないかと思うのですが、田舎だったからかなぁ。
小5のころには、ご飯作り、茶碗洗い、風呂、洗濯と一通りの家事、農作業全般(出荷用のシイタケ採りや、鶏や牛のえさやり、畑の草取り水撒き、稲作関連)していたような気が・・・。姉はもっと小さいときからしていたと思いま す。きっとその頃しすぎて、サボり癖がついたのね(笑)私・・・。
はっきり覚えてるのは、冬のシイタケの菌打ち。1つ1円。これ、100個打っても100円!!(笑)
暖炉のマキ作りも給料制だった気がします・・・。
トイレの肥溜めを畑にまくのは、1度(3~5回)3000円位?(重労働。しかし、お給料がいいため、争奪戦?!)
1人暮らしも、外国放浪も、さほど苦じゃなく楽しめたのは、このおかげだと思います。
家の仕事(お手伝い)によって、「食べる力」=「生活する力(知恵)」は身についたような気がします。
あ、でも厳し過ぎて?こうしなきゃ!が増えた気もします。
甘えてほっとできて…
ちょうどよい加減を見つけていきたいな。